JUFA 全日本大学サッカー連盟

デンソーカップ
元日本代表/ラグビー7人制日本代表元監督、現・専修大学ラグビー部監督・村田亙氏を迎えて講演会を開催
2016/03/12
 第30回デンソーカップチャレンジサッカー宮崎大会の開幕を翌日に控えた3月3日、全選手参加の講演会が行われました。講師としてラグビーの元日本代表選手でもあり、7人制ラグビー日本代表監督を務めた後、現在は専修大学ラグビー部の監督をされている、村田亙さんを迎え、『「道を切り拓く」~プレーヤーとして、指導者として~』というテーマで、村田さんの選手時代、そして指導者としての波乱に富んだ経験をお話しいただきました。

 ここでは、そんな村田さんのお話の一部をご紹介いたします。

 第8回ワールドカップで、これまで2回優勝経験のある強豪・南アフリカに勝利するという快挙を達成して注目されたラグビー日本代表。村田さんは、ラグビー日本代表が強くなった理由のひとつとして、エディ・ジョーンズヘッドコーチによる猛練習にあったといいます。

「朝から晩まで1日3部練習、4部練習といった激しい練習をしていました。それでも正直勝つとは思っていませんでしたし、本当に奇跡と言ってもいいくらいの、すごい快挙を成し遂げたと思います」

と、村田さん。しかし「選手たちはみんな奇跡だと思っていなかった」といいます。なぜか。それは、選手たちが“勝つための練習をしてきた”からです。

 対戦相手は、そのほとんどがフィジカル、スキル面で格上の選手です。そうした選手にどう立ち向かうのか。

「そこで『日本らしい戦い方をしよう』と考え、とにかくボールをキープしました。そのために近場を攻め続け、相手を疲れさせる。最後20分、スタミナで勝負していく。エディ・ジョーンズヘッドコーチは、こうした戦術を徹底して、日本の強みを活かしていったのです」。

 専修大学時代の村田さんも、同じように猛練習を重ねることで、世代別代表歴のある後輩とのレギュラー争いに競り勝ったといいます。また自分の強みを活かすことの大切さを痛感しており、「自分はスピードに自信があったので、更にフィジカルを強くすることに集中していました」と振り返ります。当時から世界を強く意識していて、専修大学のレギュラーから選抜選手、そして日本代表になるというように、常にビジョンをもって練習に臨んでいたそうです。

 そのビジョンどおり日本代表となり、第2回ラグビーワールドカップに参戦。出場したのはスコットランド戦1試合でしたが、この1試合で海外メディアからの高い評価を受け、スコットランドのチームからオファーを受けたそうです。村田さんは「自分は日本では少し異質なプレーヤーなのかもしれない。絶対に海外でやっていたい」という思いを新たにしました。

 しかし、続いて参加した第3回大会では、17-145という屈辱的なスコアで大敗。

「この時は自分もラグビーをやめたくなりました。あまりに屈辱的で世界に通用しないと思いました」。

 その一方で、「海外留学などを機に、もう一度やってみたいという気持ちも湧いてきました」とも。

 結局、この屈辱的な大敗のあと、日本人初のプロラガーとしてフランスに渡り、アビロン・バイヨンヌと契約。2シーズン、計40試合にわたる活躍をした後、日本に帰国し、ヤマハ発動機ジュビロに加入。当時2部リーグから昇格したばかりだったチームを牽引し、翌年には関西リーグ全勝で優勝という快挙を成し得ます。

 「栄光もあれば挫折もいっぱいありました」。

波乱に満ちたラグビー人生でしたが、歴史的な大敗のあとに海外移籍を成し遂げるなど、挫折をそのままにせず次につなげようとする村田さんの意識の高さが、お話からは感じられました。

 その例のひとつとしてあげたのが怪我との付き合い方です。東福岡高校時代に初めて全治3ケ月という顎の骨折をして以来、3度にわたる顎の骨折や脱臼などを経験してきました。現役時代は、顔だけに限定しても合計118針もの縫合をしたといいます。

「怪我をすることによって、自分をケアするようになりました。怪我との戦いが己を知る機会になりましたね」。

そう振り返り、大会参加選手たちの練習前後のケアやストレッチの大切さを呼びかけます。実は村田さんは35歳の時に、4大会連続出場を目指していたワールドカップの日本代表に落選してしまいます。しかし、「ここで復帰できなかったら引退しかない」と覚悟を決めて、再び気持ちを奮い立たせ、トップリーグ、カップ戦にのぞみ共に準優勝にチームを導き、再び37歳にして日本代表に復帰します。しかし、残念ながらこの年の秋に再び顎を骨折し手術をすることになりますが、常に前を向き文字どおりピンチをチャンスにつなげています。

 その後、村田さんは40歳でプレーヤーを引退し、7人制ラグビーの日本代表監督に就任。2011年からは母校・専修大学ラグビーの監督となりました。一昨年は13年ぶりとなる1部復帰を果たしました。
 そして、会場に集まった参加選手に対しては、以下のように語りかけ、講演をまとめられました。

「ここにいる選手の皆さんは、Jリーグ、そして最終的には日本代表を目指しているのは間違いないと思います。だからこそトップを目指してほしい。18歳から22歳までは、日本人がいちばん成長する時期、ゴールデンエイジだと思っています。常に自分に目標をもって、チャレンジしてほしい。チャレンジがなければ、先を見ることはできないと思います」。